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仙台地方裁判所 昭和29年(ワ)598号 判決 1956年9月26日

主文

被告は、原告に対して、金三十万円及びこれに対する昭和三十年一月七日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

事実

(省略)

理由

原告と被告は、昭和二十九年四月二十六日訴外中川武男夫婦の媒酌により、結婚の式を挙げ、爾来原告は、被告方に同棲したこと、及び原告は昭和二十九年九月十五日女児を分娩したこと、被告が原告を原告の実家に帰えし、原告の被告方に復帰することを拒んでいることは、当事者間に争いがない。

成立に争のない甲第一号証ないし同第五号証の各一、二、同第八号証ないし同第二十号証の各一、二、同第二十一号証、証人松田正太郎、同松田真知子、同板橋武三郎、同杉本茂、同中川とよ、同森よし、同藤田定俊の各証言(証人中川とよ、同藤田定俊、同森よしの各証言についてはその一部)及び原告本人尋問の結果、被告本人尋問の結果(一部)を総合すると、原告と被告は、昭和二十七年十月頃、ダンスホールで知り合つてから交際するようになり、当時、被告は東北薬科大学に在学中で、仙台市に下宿していたところ、原告はしばしば被告の下宿先を訪れたりしていたが、昭和二十八年二月頃、被告は、原告の父に対し、原告との結婚を申し込んだ。被告は原告が他の男と関係があるという噂をきいていたので、昭和二十八年三月初頃、原告に対し、そのことを詰問したところ、原告は、原告方隣家の普請に働いていた寺本大工と間違いをおこしたことがあつたので、この旨を告白した。その後、被告は原告方に至り、原告の父母に対して、寺本大工と原告との関係を話したところ、原告の父は、そういう過去のある娘ならば、不縁になつても致し方ないと言つたが、被告は、自分は原告に右のようなことがあつても結婚の意思はかわらないが、青森の母には黙つていてほしいと言つていた。そして、昭和二十八年三月末頃、被告の母と媒酌人の中川とよが原告方を訪れ、原告を、被告の嫁としてもらいたい旨申し出て、原告の父もこれを承諾し、結納は秋頃に、結婚式は昭和二十九年三月被告が大学を卒業してから挙げることに決めて、帰青した。そして、同年十月二十五日、被告の母が中川とよと共に原告方を訪れ結納をおさめた。原告は父の許しを得て、昭和二十八年十一月頃、被告と共に青森の被告方に赴き、以来同棲し同年十二月妊娠した。昭和二十九年七月上旬被告は原告の父に対して、金十万円借用方を手紙で申しこんだけれども、返信がなかつたので、原告に命じて父に電話をかけさせたところ、快諾が得られなかつた。更に、被告は同月二十五日、原告の父に宛て、原告が他の男性と関係があつたこと、原告が被告に対し年令を隠していたこと等を理由として婚約を破棄する旨の手紙を送つた(甲第二号証の一、二)。被告は、右手紙を発送するにさきだち、之を原告に示し「仙台でお産をするように。この手紙が仙台に着く頃に仙台の実家に着くように帰れ。この手紙を出しておけば、父は厭でも金を貸すに違いない。」と言つて、仙台に発たせたが、原告の実家では、すぐに原告を被告方に送り帰えした。原告が青森駅に着くなり、被告は金借のことを尋ね、借りられなかつたと聞くや「直ぐ実家に帰つてお産せよ」と言い、原告が被告の実家でお産したいといくら願つてもききいれなかつた。そして、同年八月五日、被告の母より原告の父に宛て、原告を仙台で分娩させてくれるようにと依頼の書面を送つて再び原告を仙台に立ち帰らせた。ところが同年九月七日頃被告と被告の母は相談のうえ、原告の父に宛て、原告との婚約を破棄する旨の信書を送つたので、その翌日、原告はまた青森の被告の許に戻つたところ、是非仙台でお産するようにといつて、仙台の実家に立ち帰らせられた。同月十五日原告は女児を分娩したので、その旨被告に報告し命名してくれるよう申し送つたが、被告から何の返事もなかつた。そして同年十月五日頃媒酌人中川とよ名義で原告の父宛てに被告がどうしても原告と離別するといつて聞き入れないから離別することにきめた旨手紙が来たので、原告の母、姉の夫、小父らが、生れた子を連れて被告方を訪ねたが、被告が不在だつたので被告の母に対し復縁を求め被告の所在をたづねたが、被告の母は北海道に働きに行つている旨詐言を弄し婚約を破棄する理由についても、被告本人が別れるといつてきかないし、本人がいないからよくわからないということで、はつきりとした返事が得られないまま、子供を引き渡し、原告の手まわりの品等を持つて帰つたことを認めることができる。右認定に反する証人中川とよ、同藤田定俊、同木村よしの各証言(各一部)、被告本人尋問の結果(一部)は措信できないし、他の右認定を覆えすに足る証拠がない。

被告は、本件の婚姻予約を破棄するについて正当の事由がある旨主張するので按ずるに、(一)原告が被告と婚姻予約をするとき他の男性と関係があつた旨の主張については、前認定のように、寺本大工との関係は、婚姻予約以前既に再三問題となつて、被告は充分これを承知して、なお婚姻を予約したものであり、他に原告に責むべき異性との関係は、これを認めうる証拠なく、この事実をもつて、婚姻予約破棄の正当事由とはいえない。(二)原告及びその父に、不信行為があつて、原告の父が、被告に対して愛情をよせていない旨の主張は、これを認めるに足る証拠がない。被告本人尋問の結果によると、原告の父は被告に対して、被告が原告と結婚すれば、結婚費用を充分出す、その後も応分の援助をすると約束し乍ら、結婚費用は二十萬円余ついやしたのに、二萬五千円より出さないし、又被告の金十萬円借用方の申し込みについても拒絶したこと(このことは当事者間に争いがない)旨の供述があるけれども、右のような約束をした点についての右供述は措信し難いし、仮りに、かかる約束があつたとしても、原告の父がこの約束を履行しないからとて、原告との婚姻予約を破棄する正当の事由ということはできない。また、被告は原告の父母が青森から来仙した分娩間ぎわの原告を一泊もさせないで、すぐ青森に送り返したことを以て無情な仕打であるとして非難するけれども、原告が来仙するにさきだつて、被告が原告の父に対して、原告との婚姻予約を破棄する旨の手紙を送つていた矢先であり、被告は分娩間ぎわの原告を、原告の父から金を借りる手段として、婚姻予約破棄の手紙と相前後して、再三、仙台の実家に立ち帰らせたこと前認定の通りであるから、被告の右行為こそ非難されなければならないところであつて、右をもつて婚姻予約破棄の正当な事由とはいえない。(三)次に、原告が「原告は他に処女を捧げた男性がある。被告との結婚は不幸に終る」等と言つたと被告は主張するけれども、この点に関する被告本人尋問の結果は措信できないところであり、その他之を認むべき証拠が何もない。却つて原告本人尋問の結果によれば、右のような事実はなかつたことを認めるに充分である。

しからば、被告は本件婚姻予約を何ら正当の事由なくして破棄したものというべきで、被告はこの婚姻予約不履行に因り、原告の蒙つた精神的損害を賠償する義務がある。

次に、被告は、婚姻予約不履行について、被告に責任があるとしても、原告がすすんで婚姻予約の破棄を欲し、原告の母、姉の夫、小父らが被告方に至り、原告の諸道具を持ち帰つたので暗黙のうちに、慰藉料請求権を放棄した旨主張するところ、原告がすすんで婚姻予約の破棄を欲していたことは何等の証拠なく、原告の母、姉の夫、小父らが被告方え原告の荷物を受け取りにいつて、結局全部持ち帰つたことは証人松田真知子、同板垣武三郎、同杉本茂の各証言によつて明らかであるけれども、これをもつて、暗黙裡に、慰藉料請求権を放棄したものということはできない。

よつて慰藉料の数額につき按ずるに、証人松田正太郎の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二十四年三月白百合高等学校を卒業し、同年四月から十月まで母之服装学院速成科に学び、同二十五年三月から同年十月同学院研究科にすすみ、同二十六年三月から三簡月間日本タイピスト養成所でタイプを修得し、一方、昭和二十三年四月から二年間生花を習い、同二十四年十月から一年間長唄三味を習い、同二十六年二月から二年間海津裁縫学院に学んだこと、原告は初婚であり、被告に対し愛情を捧げ円満な結婚生活に入つたのに、その信愛を裏切られ、何等正当の理由なくて破鏡の憂目に会つたため、精神的打撃を受け、結婚に対する希望を失い、将来美容師として自立することを決意し、昭和三十年四月三島学院美容科に入学し、昭和三十一年三月卒業したこと、原告の父は眼鏡、写真機の販売を目的とする株式会社水晶堂の代表取締役社長で、母はその専務取締役で、会社の資本総額は七十萬円で九割が原告の父の出資にかかり、会社よりの収入は父において年間金四十八萬円、母において年間金八萬四千円がある。原告の父はこの外に日本鋼管の株式千株を所有し、年額金一萬五千円位の配当がある。また、仙台市新伝馬町三十六番地に宅地百五十一坪、同番地に建物三棟、建坪七十坪位を所有しており、原告の実家は中流以上の生活をしていることが認められる。証人木村よしの証言、被告本人尋問の結果によれば、被告は昭和二十三年頃弘前高等学校を卒業し、その後弘前大学教養学部に入り、一年で、東北薬科大学に転じ昭和二十九年三月同校を卒業し、薬剤師国家試験に合格して、浪打病院に勤務しており、所有の不動産としては、母と兄弟七人との共有である宅地七十二坪と二階建家屋一棟と、単独所有である十坪位の家屋を有すること、被告の母は、従業員四、五人を使用してカフエーを営んでいること、を認めることができる。以上の事実と、前叙認定の事実を斟酌すると、原告の右精神的苦痛に対する慰藉料は金三十萬円を以て相当と認められる。よつて、被告は、原告に対して、金三十萬円及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和三十年一月七日より右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるので、原告の請求は右の限度において正当として認容し、その余は失当として、これを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 新妻太郎 枡田文郎 平川浩子)

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